不協和音の脳科学:なぜ「解決」が快感をもたらすのか?音楽における緊張とドーパミン放出
不協和音の脳科学:なぜ「解決」が快感をもたらすのか?音楽における緊張とドーパミン放出
音楽が人の感情や気分に大きな影響を与えることは広く認識されています。特定の楽曲を聴くと高揚したり、リラックスしたり、あるいは深い感動を覚えたりします。これらの体験の多くは、脳内の神経化学物質の放出、中でも報酬系に関わる神経伝達物質であるドーパミンと密接に関連していると考えられています。
ウェブサイト「ドーパミンチューンズ」では、音楽によるドーパミン放出を最大化するための様々な要素や楽曲について探求していますが、本稿では音楽理論における重要な概念の一つである「緊張と解決」に焦点を当て、これがどのように脳に作用し、ドーパミン放出を促進する可能性について科学的な視点から解説します。
音楽における「緊張」とは?不協和音と脳の予測
音楽における「緊張」は、主に「不協和音(Dissonance)」によって作り出されます。不協和音とは、複数の音が同時に鳴った際に、協和せず、不安定で耳に刺激的、あるいは不安定に響く音の組み合わせを指します。例えば、長七度や短二度、あるいは三全音(増四度/減五度)などが含まれる和音などが典型的な例として挙げられます。これらの音程は、物理的に見ると、周波数の整数比が単純でなく、うなりを生じやすいため、聴覚系に特定の処理負荷を与えることが考えられます。
聴覚システムは、入ってくる音情報を処理し、パターンを認識し、次に何が起こるかを予測するように機能しています。不協和音は、この予測のプロセスにおいて不安定さや「解決されていない」感覚を生じさせます。脳は無意識のうちにこの不安定さを解消しようとし、次に続く「安定した音」、すなわち協和音への移行を期待します。これは、音楽における「予測」の重要な要素であり、脳の報酬系が関与するメカニズムの一つである「予測誤差報酬(Prediction Error Reward)」と関連付けられることがあります。予測していた通りの「良い」結果が得られた際に報酬系の活動が高まる、あるいは予測と結果の差分が報酬系を駆動するという理論です。不協和音は、ある種の「予測誤差」や未達成の期待を生み出すと言えるかもしれません。
脳科学的な研究では、不協和音に対する反応として、感情処理に関わる扁桃体や、聴覚情報を処理する聴覚野の特定の領域の活動が観察されることが示唆されています。これは、不協和音が単に音響的な現象に留まらず、脳内で情動的な反応や認知的な予測を引き起こしている可能性を示しています。
音楽における「解決」とは?協和音とドーパミン放出
不協和音によって生じた緊張は、「解決(Resolution)」によって解消されます。解決とは、不協和音または不協和な響きを持つ和音が、協和音または安定した和音へと移行することです。クラシック音楽における終止形(カデンツ)、特に属七の和音(ドミナントセブンスコード)が主和音(トニックコード)へと進行する終止は、最も典型的で強力な解決の例です。属七の和音に含まれる不安定な音程(例えば、ハ長調におけるシとファ)が、主和音の安定した音程(ドとミ)へと滑らかに移行することで、強い解決感と心地よさが生まれます。
この「解決」の瞬間に、脳の報酬系、特に側坐核(Nucleus Accumbens)や腹側被蓋野(Ventral Tegmental Area; VTA)といった領域の活動が高まることが、神経科学的な研究によって示唆されています。側坐核は、報酬の予測と経験において中心的な役割を果たす脳領域であり、ドーパミンの主要な標的の一つです。不協和音によって高まった緊張と、それに続く期待が解決されることによって得られる安堵感や快感が、これらの報酬系領域の活動を活性化し、ドーパミン放出を促進する可能性が考えられます。
音楽におけるドーパミン放出に関する先駆的な研究の一つに、Robert Zatorreらの研究チームによるものがあります(Salimpoor et al., Nature Neuroscience, 2011)。この研究では、被験者が非常に快感を感じる音楽を聴いている最中に脳活動を測定した結果、音楽の「ピーク」、すなわち最も感動的な部分に達する直前(期待の段階)に尾状核(Caudate Nucleus)が、そしてピークに達した瞬間(報酬の段階)に側坐核がそれぞれ活性化することが示されました。尾状核は予測や期待に関わる領域であり、側坐核は報酬体験そのものに関わる領域です。この研究結果は、音楽における緊張(期待)と解決(報酬)のプロセスが、脳の予測・報酬システムと密接に関わっていることを強く示唆しています。不協和音による緊張は、解決という報酬への期待を高め、解決が達成された時にドーパミン放出を伴う快感が生じる、というメカニズムが考えられます。
楽曲にみる「緊張と解決」の妙
音楽における「緊張と解決」は、あらゆるジャンル、あらゆる時代の楽曲において、表現力と感動を生み出すための基本的な手法として用いられています。
クラシック音楽では、バロックからロマン派にかけての楽曲において、緻密に計算された終止形や転調による緊張と解決の繰り返しが、楽曲全体の構成やドラマティックな展開に不可欠な要素となっています。例えば、J.S.バッハのフーガにおける多声的な響きの中での不協和音の扱い、ベートーヴェンの交響曲における劇的な不協和音の使用とその後の力強い解決などは、聴衆に強い印象を与えます。
ポピュラー音楽においても、ジャズにおける複雑なコード進行やリハーモニゼーション、R&Bやソウルにおけるテンションコードや巧妙なボイシングによる独特な響き、映画音楽における情景描写のための意図的な不協和音の使用とその後の感動的な解決など、様々な形で「緊張と解決」が応用されています。特定のアーティストは、リスナーの予測を裏切るような解決を行ったり、解決を遅延させたりすることで、より強いカタルシスやユニークなサウンドを生み出しています。これらの音楽構造を意識して聴くことで、普段聞き流している楽曲の中に隠された「ドーパミンを誘発する仕掛け」を発見できるかもしれません。
リスナーとしては、楽曲全体の中で不協和な響きがどこに現れるか、そしてそれがどのように解決されるかに意識を向けてみることが推奨されます。特に、サビに向かう直前の部分や、曲の終わり、あるいは転調する箇所などに、意図的に緊張感が高められている場合が多く見られます。これらの瞬間における、脳の予測と、それが満たされた時の解放感や快感に注意を払ってみることは、音楽体験をより深く洞察的にし、ドーパミン放出を伴う感動をより鮮明に感じ取るためのヒントとなり得ます。
まとめ
音楽における「緊張と解決」は、単に楽典上の概念に留まらず、脳の予測・報酬システムに深く作用し、ドーパミン放出を介した快感や感動を生み出す可能性が示唆される音楽的な構造です。不協和音によって生じる不安定さや期待感は、脳に特定の処理を促し、続く協和音への「解決」は、この期待が満たされた際の報酬として知覚されると考えられます。
このメカニズムを理解し、自身のリスニング体験の中で不協和音とその解決に意識的に耳を傾けることは、音楽の新たな側面を発見し、脳が音楽に反応する仕組みへの理解を深める機会となるでしょう。複雑なハーモニーやユニークなコード進行を持つ楽曲を分析的に聴くことは、ドーパミン放出を伴う音楽的快感をより深く探求する上で、非常に有効なアプローチと言えます。自身の「ドーパミンチューン」プレイリストに、緊張と解決が見事に織り込まれた楽曲を加えてみることを検討されてはいかがでしょうか。